落日
小さな手が、ゆっくりと伸びた。
濡れた白い布が頬にぴたりと当てられる。僕の体がぶるりと震えたのは、その冷たさ故か。
それとも、これから素顔を晒すことに対する恐怖か。
(きり丸君、僕の顔を剥いでくれないか)
鉢屋先輩が急にそんなことを言うものだから、驚いた。先輩と付き合って暫くになるけれど、俺は一度も素顔を見たことがない。見たくないと言えば嘘になるけれど、先輩が見せたくないのならそれでいいと思っていた。
先輩がどうして見せてくれる気になったのか分からないけど。先輩の中で、俺のランクがアップしたと思っていいのかなぁ。
(嬉しいなぁ)
(僕はね、ここ数年、誰にも素顔を見せたことがないんだ)
最初はみんなが驚くのを面白がっていただけだけど。だんだん仮面を被っているのが普通になって、それにつれて、自分に戻るのが怖くなって。今じゃ常に誰かの顔を借りてる。
何でだろうね。僕は卑小な人間なのさ。自分が弱くてどうしようもないから、誰かの顔を借りて強くなったつもりで逃げてるんだ。化けるしか能のない人間で、皮ばかり被って中身は空っぽなんだよ。君はこんな僕でも嫌いにならないかな。平凡な素顔を見ても、嫌いにならないかな?
(やだなぁ、俺はもともと顔のない人を好きになったんですよ!今更どんな顔が出て来ようと、嫌いになんかなりませんよ)
ほんと?
(大好きです、先輩)
ありがとう、
(もう、泣かないで下さいよ…)
ああ、我ながらホント情けないなぁ。
自分の中身は空っぽだと思ってたけど、じゃあ後から後からじわじわと流れて来る熱い液体は一体どこから溢れるのか、全く止まる気配がない。そう言えば、いつも他人の顔を借りているから泣くこともなかった。泣いたら仮面が溶けてしまうから。
とどまらない涙を、彼は手に持った布でそっと拭ってくれた。
「なーんだ、かっこいいじゃないですか、先輩」
彼がにっこりと。そう言ってくれるので、僕も口元を綻ばせた。
(さぁもう笑うよ)
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