夜が来る前に




地面に手をつくと丁度そこは血だまりだったらしく、生暖かい感触が指の間を伝い大層気持ち悪かった。
それでも何故かこの手を上げる気にはならない。立ち上がる気にもならない。顔を上げたって眼に入るのは屍だけ。だったら少しでも温かいこの血液に指を浸していたかった。この血はきっとまだ生きている。直に冷たくなると分かっているけれど。

「滝ちゃん、大丈夫?」

手をついたまま動かない私を訝しんでか、綾部が後ろから声をかけた。ああ、そういえば綾部は生きてる。顔を上げても少なくとも一人は屍じゃないってわけだ。
綾部は横に回ると私を引っ張って地面に座らせた。服が汚れる、と思ったがどうせもう汚れているから同じだと思い直し好きにさせる。座り込むと、急に両足にひどい疲れを感じた。
暫く立ち上がれそうにないな。
昨日の夜温かい夕飯を食べて風呂に入り、白い布団で寝たのが嘘のようだ。
ああ、本当に今生きてるのか私は。

不意に綾部は私を引き寄せると、唇を押し当てて来た。
血と泥と生の味がした。

(…温かい、)

触れ合った部分が離れると途端に寂しくて冷たくて、私は悲しくなる。
綾部はその丸い眼で私を覗き込み、頬についた汚れをそっと拭ってくれた。

「滝ちゃんは生きてるよ。」
「…うん、」
「早く帰ろう。」
「うん。」

綾部に引っ張られるようにしてのろのろと立ち上がる。足は相変わらず怠い。肩を貸して貰ってやっと歩き始める。
帰りたいとは思ったが、帰ってご飯を食べるのも風呂に入るのも億劫だと思った。寝るのだって、こんな泥だらけじゃ夜着にも着替えられない。
隣にいる綾部の温かさだけが自分を何とか立たせていた。
一人だったら発狂しそう。寂しくて寂しくて。今だって、ほら。横にいるのにこんなにも寂しい。

(あやべ、)

掠れた声でもう一度唇をねだった。