鮮夏の夜




悪い夢なら覚めてしまえ。

見開いて固まって動かない瞼を何とか動かし、瞬きをする。が目の前の光景は瞬きの前と何等変わらなかった。

ある街の隅の女郎部屋に、恋人は横たわっていた。
数刻前に元気な姿で別れたばかりの彼女は今、その豊かな二つの乳房の間を刀で貫かれて白い肌を真っ赤に染めていた。床は、まるで背中で血の風船を破裂させたような汚れ様だ。

私は震える足で彼女の元ににじり寄った。
手を取ると、温かい。微かに脈があった。まだ生きている!
彼女を床に磔ける憎い刀を抜こうとして、やめた。今この刀を抜けばたちまち血潮が噴き出し絶命してしまうだろう。
私は彼女を揺らさないよう、血の気を失って更に白い手をぎゅっと握った。

「滝夜叉丸」

頼む、目を覚ましてくれ。

「滝夜叉丸!」

ぴくり、と彼女の瞼が震えた。
うっすらと目を開け、視線をさ迷わせたあと私の姿を捉える。

「三木…」

かさついた唇は、殆ど動かずに私の名前を呼んだ。
ひゅうと息が漏れる。

「滝!」
「三、木、すまない…失敗、した。相手に、くのいちだと、ばれて、」
「分かった、もういい喋るな。すぐ手当してやる。大丈夫だからな」
「馬鹿だな…もう大丈夫じゃない、ことくらい、自分でも分かる」

彼女は弱々しく笑った。
彼女自身が自分のさだめを受け入れているのに、横にいる私が事実を受け入れられない。受け入れられるはずがない。お前が死ぬなんて。死んでいいはずがない。お前はこんなにも若くて綺麗なのに。

「お前は、昔、から諦めが悪い…」
「うるさい。それが取り柄なんだ」

そうだ、私は諦めが悪いのだ。お前を好きだと気付いてから恋仲になるまで何年かかったことか。私にはお前以外いないんだ。頼むから置いていかないでくれ!
ぼたぼたと涙が落ちた。
どうして死ぬはずの彼女が笑い私が泣いているのかと不思議に思ったが、考えてみれば彼女は置いていく方で私は残される方だ。後者の方がつらいに決まっている。

彼女の姿を脳に焼き付けようと思うのに、ぼやけて滲んでしまうのが只々悲しかった。私の涙腺はこんなに弱かっただろうか?

「泣き虫」

彼女が私の目元を拭った。
幼き日もそう言ってからかわれたことが、鮮烈に脳裏に浮かんだ。