小さなあの子は死んでしまった。
ひとは不運な事故だと嘆くかも知れないが私はそんな言葉であの子を諦められない。不運?あの子はもう一生分の不運を使い果たしていたじゃないか。これ以上不運なことが起こる筈がない。これからはきっと幸せに生きていける筈だったんだ。否、幸せだと笑っていたんだ。私にささやかながらその手伝いが出来ていたとしても、まだまだ全然足りない。足りない。こんなものじゃあの子の谷は埋められない。だから死んでいい筈なかったんだ。
私は嘆き方すら忘れてしまったようだった。泣きもせず笑いもせず、ただ老人のように思い出すのみなのだ。持っている時は至極普通の日常だったのに、失った途端きらきらと輝き出すあの子との思い出を。
誰もがあの子の柩に頭を下げた。あの子はそれを知っていた。



ほら、額を地面につけなきゃいけないよ。姫様が通られるからね。
先生。何で姫様にこんな大袈裟に頭を下げなきゃいけないの?俺の村では誰にもこんなことする必要はなかったよ。
姫様はこの町を治めておられる、ほら、あそこに城が見えるだろう。あそこの城主様の娘なんだよ。偉い方なんだ。だから頭を下げるんだよ。
俺は村長さんにだって頭を下げたことはないよ。村長さんも偉い人だったけど、俺の父さんだって村長さんが通るってだけで別に頭を下げてはいなかったよ。
姫様は村長さんよりずっとずっと偉いんだよ。城主様もね。
俺は村長さんにはお世話になったけど、城主様がここを治めているなら城主様にもお世話になったけど、姫様には何のお世話にもなってないよ。この町の人だってきっとそうだよ。先生もそうでしょう?
…姫様が将来ここを治めるかもしれないだろう?
だったらそれからでいいじゃない。
あまり大きな声でそういう事を言うな、殺されても文句は言えないぞ。
何の権利があって人を殺すんですか?
無条件に権利があるんだよ、あの方達には。そういうものなんだ。
権利がある人が偉い人なんですね。
そうかもしれないな。
先生、俺はね、人にお礼を言う時、人に謝る時、人が死んだ時。それ以外に人が人に頭を下げる必要はないと思う。…人に頭を下げられて偉いと勘違いした奴らが、もっと頭を下げられたいがために戦をするんだ。俺の村を燃やしたんだ。だからみんな死んでしまったんだ。俺はみんなの遺体に頭を下げたよ。空なんて何日も見ないくらい頭を下げたよ。ねぇ先生、あいつらはきっと人に頭を下げることなんて知らないんだ。知ってたら、対等な目線で人を見ていたら、みんなきっと幸せになれるのに。俺はこの通り何の権利もないやつだから、きっと誰かに無条件に頭を下げてもらえるのは死んだときだろうね。



彼は大層聡い子だった。思い返せば返す程に彼の一言一句が鮮やかに蘇るのだ。全ては幼い彼の言う通りだった。私の知らないことを彼は知っていたのだ。
そうは言ってももう相当ねじ曲がったこの世界はどこに行っても理不尽だから、私は相変わらず頭を下げるし手もつく。ただそれをする度に、感情を燈さない彼の横顔が脳裏にちらついて胸がちくりと痛むのだ。あの時彼は何を思って話したのだろうか。彼の脳裏には何が渦巻いていたのだろうか。悲しみ?怒り?憎しみ?
なぁ、お前の言う通りだったよ。私は教師だけど、だからと言って何も偉くはなかったよ。私は何も知らなかったのにお前は知っていたね。そんなお前が今漸く頭を下げられているのなら、私だって柩になって初めて頭を下げられるだろうね。


やめよう。詮のないことだ。
やめよう。


私はあの子に深く深く頭を下げた。
私の覚えている限り、初めてあの子に頭を下げた。