なにもかもを捨てたひと




モノに執着するのは好きではない。
いざとなれば人間は身一つで生きていけるのだ、そりゃあ若干寒さや雨露をしのぐものがいるけれど、そんなのはどうにでもなる。お金も、片手に握りしめられるくらいでいい。そうすりゃ盗られることもないしそれくらいだって満足さえすれば充分暮らしていけるのだ。
俺が長期休みで家に来る度土井先生は勝手に人のものを売るなと怒るが俺から見れば必要ないものばかり、この家にはものが多過ぎますよ、先生!それでも売り続けた成果か、最近では大分すっきりしてきた。先生も半ば諦めモード。まぁ家はやっぱりあった方が良いよね。布団も、食器も。でも全部最低限でいいよ。そう怒らないでよ。俺だってほら、土井先生が俺に買ってくれたご飯茶碗は売らないよ。
でも時々自分が何も持っていないことが不安になります。
今は若いからそれで生きていけるのだと分かっています。
俺が持ってるのはこのご飯茶碗と、擦り切れた服と、僅かな小銭、それに少しだけ習った忍術。それだけだ。
しかし、もし今俺が今土井先生を失ったらそれらを全部躊躇わず手放すだろう。生きていくために。そうしたら俺には何が残るだろう。ああ、何も残らない!怖いな、怖いなぁ。なんて言ったら彼はきっとお決まりの笑顔で笑う、「愛情をひとつ持ってるだろう」。



(その愛情が記憶になるのが何より嫌だと言うのに)