送り狼
三木ヱ門は学園への帰り道を急いでいた。学園長のお使いに出たはいいものの頼まれた先はかなり遠く、折角先方が泊まって行きなさいと勧めてくれたのに、明日も朝から授業がありますからと断ってしまったことを三木ヱ門は激しく後悔していた。もう日はとっくに暮れ、あたりは真っ暗だ。生憎の曇り空で月の明かりも覚束なく、手に持った提灯だけが頼りだった。
学園へ帰るには、森を抜けなければならない。夜の森とは何故こうも気味が悪いのだと三木ヱ門は心の中で舌打ちをする。いくら忍者だって、怖いものは怖い!後ろに気配を感じるのも、横の茂みが不自然に揺れたように感じるのも、全て夜の成す技だ。気のせい、気のせい。そう呟いて三木ヱ門は足を早めた。
峠も越え、やっと半分来たと息をついたところで、三木ヱ門の衣の裾を引っ張るものがある。木の枝でも絡み付いたかと足元を見遣れば、そこにいたのは一匹の狼だった。黒々とした毛並みと、提灯の明かりに照らされらんらんと光る目をした大きな狼。
一瞬ぎょっと身を固くするが、狼は別段襲い掛かる様子も見せず、こちらに来いと言う風に裾を引っ張る。三木ヱ門は何が何だか分からないままついて行った。
狼は今歩いて来た道を戻り、先程通り過ぎたばかりの四ツ辻まで来ると、傍らの茂みに分け入り道から大分離れたところに身を潜めた。倣うように三木ヱ門も一緒に身を伏せる。
暫くすると、今来た方向から微かな足音が聞こえて来た。
三木ヱ門が茂みからそっと顔を覗かせると、笠を被り杖を持った旅人のような出で立ちをした者たちが七人、連れだって歩いている。最初は何だ人かと思ったが、どうも妙だ。こんな夜中なのに誰ひとり提灯を持っていない。暗く不気味な夜の森を、一言も発さずただ黙々と歩いている。おかしい。あれは人ではない、きっと、
(七人同行…)
答を思い当たった瞬間、三木ヱ門の背筋を寒気が駆け抜けた。
彼らは常に七人連れだって歩き、行き逢った者を祟り殺すと言う。あのまま道を進んでいれば、間違いなく出会っていただろう。
三木ヱ門の足から力が抜ける。
奮えが止まらず、横に伏せている狼にそっと腕を回す。狼は目を細めただけで嫌がる素振りは見せなかった。獣の温かさに、生き返る気がした。
行き逢い神たちはゆっくり十字路を通り過ぎると、やがて夜の闇に溶けて行った。
その後狼は山を下るまで付き添ってくれ、三木ヱ門がお礼を言おうと振り向いた時にはもう姿を眩ませていた。
またここに来ることがあればお礼をしなければ、と思いながら学園への道を急ぐ。もう後は慣れた道なので、心配はなかった。
こっそり塀を乗り越え、四年の長屋にたどり着くと三木ヱ門は心底安心した。無事に帰って来れたのだ、と思った。早く湯を浴びて休まなければ。
同寮の者たちを起こさないように静かに廊下を歩いていると、綺麗に掃除されている筈の床に何かきらりと光るものが落ちているのを見つけた。何だろうと思い拾ってみると、それはどうやら動物の毛のようだ。黒くて少し硬いその毛は、三木ヱ門の着物についていたそれと同じ、獣の毛だった。
何故これがこんな所に、と三木ヱ門は首を傾げる。
とりあえず自分の命を助けてくれた狼のものなので、大切に取っておこうと思いそれを半紙に包むと懐に仕舞った。
(今日は疲れた。早く寝てしまおう)
そればかりに気を取られていた三木ヱ門は、獣の毛が落ちていた理由も、またその場所が恋人の部屋の前であることにも気が付かなかったのである。
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