円周率



この世に完璧なものなどない。
分かっていても完璧が好きな私はいつも身の回りに完璧を求めてしまう。私はいつも目を開いていたかった。世の中は私を置いてどんどん進んでしまう。取り残されるのは恐怖だった。知識を一欠けらも零していきたくはなかった。私が目を閉じた一瞬にも、見逃した何かがあるはずだ。人間が生きていく以上、どうしても見れない景色があることがとても悔しかった。
そんな私とは反対に、隣に立つ綾部はいつも目を閉じているような人間だった。私は普段景色を見逃していることにも気付かないような奴らを愚かだと見下していたが、綾部に関しては違う。綾部は時に私の知らないことを知っていたし、時には目を開けてどこか遠くを見ていた。きっと彼は景色を見るのではなく感じていたのだろう。自分の周りを色々なものが回っていることを知っていたに違いない。私は綾部がどこを見ているのか度々気になった。それはとても珍しいことだった。
私は彼が隣に立つことを許し、彼もまた私が隣に立つことを許した。

お互い他人から一番距離を取っていたというのに、まるで一周してまた鉢合わせしてしまったような。

そしてある日、私は倒れてしまった。もう慣れたと思っていたが、やはり長い間の無茶が身体に負担を強いていたようだ。
起きると、綾部がすぐ傍で寝ていた。きっと心配してついていてくれたのだろう。私のせいで彼の貴重な時間を使わせてしまい申し訳ないと思ったので、そっと肩を揺らして起こしその旨を謝ると、何故か綾部は少し複雑な顔をした。
彼に話を聞くと、どうやら私は丸二日ほど寝ていたらしい。ああ、そんなにか、とひどくがっかりした。二日間も無駄にしてしまったなんて。早く取り戻さないとなぁなんて笑うと、綾部は今度は怒った顔をする。

「滝ちゃん。目を閉じないと見えないものもあるんだよ」

そうして次は泣きそうな顔をして私の手をぎゅっと握った。
私は呆気にとられ、今日の綾部は怒ったり悲しんだりと忙しいなぁと思ってしまった。綾部の珍しい感情の揺れの理由は分からないが、一つだけ分かったことがある。きっと、


(綾部は私を見ていたんだ)