約束を切り落とす





「ねえ吹雪」

ああ、来た。
咄嗟にそう思ってしまった。

「さっき女の子と握手してたでしょう。どういうこと?」

いつもお篭りの藤原が珍しく僕の部屋に来たと思えば、これだ。
彼はあまり外に出てこない癖に、どこで僕の行動を見ているのだろう。

「君はわざわざ嫉妬しに僕の部屋に来たの?」
「そんなこと聞いてない、俺の質問に答えてよ」

ため息をつきたい気持ちを抑えて、努めて明るく彼の質問に答える。

「…確かに握手したよ。でもしょうがないだろう。女の子の告白を断ったら、一度でいいから握手してって言うんだもの。それまで断ったら可哀相だろう?別に握手したくらいで君への愛情が減る訳じゃないんだからいいじゃないか」
「吹雪なんて女の子の誘いを全部冷たく断って嫌われちゃえばいいのに」
「藤原、やめてくれ、」
「どうせ俺のこと面倒くさくてうるさい奴だと思ってるんだろ?ちょっと握手したくらいでヒステリックに騒ぎ立てて、分かってるよ、自分でも分かってるんだ」
「やめろ、」
「俺はお前と付き合って劣等感でいっぱいだよ。結局吹雪だって本当は俺なんかより女の方が」
「藤原!!」

僕が怒鳴りつけると藤原はびくんと肩を揺らして口を噤んだ。
その代わり、彼の紫色の目がゆらりと滲んで、見る間にぼたぼたと涙を零しはじめた。

僕は今度こそため息をついて、彼をぎゅっと抱きしめた。

彼の涙は卑怯だと思う。
何だか分からないがどうしようもなく僕が悪い気持ちになるんだから。

「ねぇ、もう…泣かないでよ」
「っく…うっ…誰のせいで…」
「僕が悪かったんだから、ね?」
「吹雪…吹雪なんて俺とだけ手をつないでいればいいんだよ」
「ほら、手をつないであげるよ」

僕は右手を藤原の左手と合わせてあげた。藤原は少し呆気に取られたあと、ぎゅっと僕の手を握って嬉しそう。

ああ、そうか。吹雪は俺とだけ手をつないでればいいんだ。

藤原はいいことを思いついたような顔でパッと笑うと、ちょっと待っててね、と言って台所へ駆けていく。
ガチャガチャと戸棚を引っかき回す音が聞こえたあと、戻ってきた藤原の手には料理包丁が握られていた。

あんまりにも、藤原が笑顔で、にこやかに立っているものだから僕は一瞬彼が何を持っているのか分からなくって、気付いたら僕の右手はもう一度藤原の左手に握られていた。
藤原は僕の顔を覗き込んで、言った。

「手をつないだまま切り落とそう」

彼は笑っていた。
目はもうすっかり乾いていて、球体はどこまでも丸くて、どこか怯えたような僕の表情を辛辣に映し出している。

剥き出しになった白く細い手首に、鈍い色の刃が食い込んで赤い玉が転がった。
僕は何故かさほど強くない彼の手を振りほどくことが出来なかった。


きっと、明日になれば、自分の頭を撫でる右手を失ったことに気付いて彼は泣くんだろう。

そして、悪いのは全部僕だ。